どうもこんにちは、モモンです。
「千鳥の鬼レンチャン」を見ていた時の話なんですけどね。
鬼レンチャンっていろんな企画があるみたいなんですけど、「サビだけカラオケ」っていうサビの音程を外さず歌い続けるものしかほぼ見たことなくて、その時の話なのですが。
尾崎豊さんの「I LOVE YOU」が出てきました。
それを見てダンナも歌う(ちなみにダンナは音痴)
15の夜や
19の春て。尾崎感まるでないがな。演歌っぽい
そして村下孝蔵さんの「19の秋」を思い出しました。
ということで続いて村下孝蔵さん・尾崎豊さんお二人の思い出を・・
中学生・高校生の頃はお二人が好きだったんですよね。(方向性違い過ぎ)
村下孝蔵さんの思い出
村下孝蔵さんはコンサートに3回行きました。我ながら渋い中学生やな
当時買ったアルバムはカセットテープだったんだけど、それをステレオでアホほど繰り返し聞いていたら父に怒られた思い出。(「いい加減にしろ!」って言われた笑)
初恋がヒットした頃はテレビにサッパリ出演しなくて、後年「夜もヒッパレ」という番組に出始めたのは嬉しいようなやめて欲しいような微妙な気持ちになりました。
出演していなかった当時、恥ずかしがり屋だから的な紹介されてた気がするんですが今調べると病気がちだったからってなってる。
記憶違いかな、なんせ40年近く前やもんな。
って、40年??自分でビックリ
村下孝蔵さんは熊本県の鎮西高校出身だったので高校野球で鎮西高校が出てきたら応援なんかしちゃったりして、のちに南海ホークスに入団する松崎秀昭さんとか好きでした。
なんか今思うとそういう行動って若いな。今なら『関係ないやん』って思う
そしてこうやって書いているとどんどん色々思い出してきて、思い出話というのは面白いですね。
エ、面白がってるのは自分だけ?いいんですよ、弱小ブログだから好きに書けばさ(お得意の開き直り)
ところで話微妙に変わりますけど、そんな思い出が色々懐かしくてちょっと「村下孝蔵」で検索していたら元奥さんと従姉妹の方がそれぞれブログをやられていて対立している様子を知りましてね。そういうのあまり知りたくなかったな。ネットって知りたいことも知りたくないことも知れちゃう。。
尾崎豊さんの思い出
尾崎豊さん(以降は「尾崎」で・・)は「卒業」からのファン。
制服の〜胸のボタンを〜(それは斉藤由貴さんや)
当時は10代のカリスマ、代弁者的な感じで歌詞がもてはやされたりしていましたが、私は歌詞が好きというより曲が好きでした。歌詞は正直理解できん部分もある
ファンクラブにも入っていました。mind map members(マインドマップメンバーズ)というファンクラブ。
「早すぎる伝説」という番組が放映された時には、ウチにはビデオデッキなどなかったのでラジカセをテレビの前に置いて録音という昭和の人あるあるなこともやりました。
尾崎が活動を休止したりアメリカ行ったり迷走(?)していたけど、やっとツアー開始、チケット代振り込んだんだけどその後体調不良で結局ツアーは中止。
ガックリしているうちに、まさかの覚醒剤での逮捕。
それでちょっと(かなり)失望してファンクラブはやめてしまったんだけど、結局復帰作の「太陽の破片」は発売日に買いに行ったなあ・・遠い目
こうやって折に触れて思い出すとまた懐かしくなって、なかなかCDや本など片付けられませんね・・